「ヨネ、お前またゴミ溜めてるじゃねぇかよ。いつも言ってるだろ、その度に捨てないと駄目だって……」
比良岩 世音(ヒライワ ヨネ)がパオモンのテイマーとなったのは、昨年の春頃。
赴任した大学の研究室で管理していたデジタマから孵ったこの電子獣──通称デジタルモンスター、略してデジモンと呼ばれる電子生命体を、よりにもよって自分に預けた室長の真意を、世音は未だに図りかねていた。
「まだ八分目だもん、いちいち捨ててたら勿体ないでしょ」
「そんなだから生ゴミ腐るんだよ、こっち来てみろよ、ひでぇ臭いだぞ?」
灰色のプラスチック箱の前でしかめ面をする犬顔の饅頭──世音のパートナーデジモンであるパオモン。
彼は幼年期、即ち人間で言うところの乳幼児に相当するが、同種の仲間と比べて随分と大人びた性格をしているらしい。私生活において凡ゆる面で自堕落な世音にとって、パオモンの几帳面さに助けられる事も少なくないのだが、それ以上に煩わしくもあった。
「そこまで言うなら、たまにはアンタが捨てに行ってよ。アタシこう見えて割と忙しいから」
「無理。オレ手足ないんだもん」
これ見よがしにコロコロと横に転がったパオモンは、分厚い紙束に当たって止まる。
それは、世音が読みかけのまま放置していた論文の山。頂点に置かれた一冊の、見開きのページに描かれていたのは、犬か狼を思わせる頭部に人のような身体、更にはその背に巨大な猛禽の翼を生やしたデジモンのスケッチ。
「オレだってな、デジタマになる前はほら、こんなふうに手足があってオマケに羽まであったんだぜ?」
「わー、すごーい」
「おい、何で目ェ逸らすんだよ」
パオモンが自称する、前世とも呼ぶべき姿──それを語る前に、彼らデジモンの進化と、その生と死のサイクルについて触れなければならない。
そもそもデジモンとは、生存本能を与えられたプログラムの一種。デジタル技術の発達に伴い増加したデータ群を自らの体内に取り込んで進化した電子の生命体。
彼らは、本能に従って闘争と捕食を繰り返し、より強大な姿へと自らを変えてゆく。
初めは幼年期、その次は成長期、更には成熟期、完全体という段階を経て、最後は究極体と呼ばれる極地の姿に至る。
その後寿命を迎え死亡したデジモンは、"デジタマ"と呼ばれる、卵殻の形を模したデータ塊と化す。
パオモンの言葉を信じるなら、彼もまた天寿を全うしたデジモンの"転生"した姿であると言えるだろうが……
──アヌビモン……いや、確かにアレも犬だけど……
古代エジプトにおける冥府の守護者アヌビスを模した神人型デジモンは、種名の由来となった狼頭の神と同じく、死した者の運命を左右する権能を有していた。
即ち、死亡した後にデジタルワールドの冥府、通称ダークエリアにデータを転送されたデジモン達の、デジタマへの転生の是非については、このアヌビモンという種に絶対の決定権が与えられているのだ。
似た能力を持つデジモンとしては北欧神話の戦乙女を模したヴァルキリモン等がいるのだが、ダークエリアの守護も併せて担っているあたり、アヌビモンという種が特殊な立ち位置にある事に疑いの余地は無い。
──パオモンは人工のデジモンのはずなんだけど……その進化系がデジタルワールドの"あの世"を管理してるってのもおかしな話ねぇ。
アヌビモンは、ダークエリアを管理する役目を古来より担ってきた種である。しかし、近年の記録に残る歴代の管理者達は、確認出来た限りでは皆パオモンを──先程の言葉を信じるなら、世音のパオモンもまたそうであったのだろう──彼等を進化元とする個体が務めていたことが分かっている。
冥府の裁判官──良いデジモンの魂は新たな命に、悪しき者の魂は永劫の闇の中へと封ずる……デジモン達の世界、デジタルワールドは、大元を辿れば人間の活動に伴い生まれたものとされているが、今は大型のホストコンピュータが自らの判断で管理しているという。そいつが、態々人工的に作られたデジモンであるパオモンから進化したアヌビモンに与えた権限は、不自然なくらいに強すぎた。
そもそも、人工デジモンというのは、通説では幼年期の次、成長期から先には進化しないとされていた。
パオモンの場合、次に至るのは幼年期の第二段階であるレッサー型のシャオモン。これはパオモンを少し大きくして短い手足をつけたようなデジモンだ。
そしてその次、成長期の獣型、ラブラモン。レトリバー犬を冠するその種名通りの、現実の犬と違わぬ姿となるが、身体データの不安定な人工デジモンにとって、この姿が進化の到達点であるというのが、テイマーや研究者の間では従来の常識であった。
しかし、西暦2000年代に入ってから、その状況は大きく変わり始めた。
非公式な記録ではあるが、ラブラモンの中から成熟期への進化を成し遂げた例が数件確認されたのだ。
当時最も多く報告された進化先は、聖獣型のシーサモン。沖縄を中心とする南西諸島に伝わる魔除けの獅子の姿を持つこの種から、ギリシャ神話の地獄の番犬を模したケルベロモンに至り、アヌビモンへの進化を遂げた個体の出現……それも、一体や二体ではなく。
そしてもう一つ、アヌビモンに関して世音は疑問を抱いていることがある。
それは、ラブラモンが究極体にまで至った最初の記録からまもなく、シーサモンとは別の成熟期を経由する進化が増えたということ。
魔獣ドーベルモン──ラブラモンと同様現実世界の犬種を模した種であり、その容姿と、悪しきウィルスを只管に狩るその性質は、厳格なる冥府の守護者にしてデジタルワールドの裁判官とも称されるアヌビモンと通ずると言えなくもない。
問題は、何故その変化が起きたのか、だ。重役に人工デジモンをわざわざ据えたのもそうだし、進化の仕方が変わった事にも、何かしらの介入があったのではないだろうか?
「人工デジモンにおける進化の限界の突破……進化先の傾向の変遷……そもそも、ダークエリアの管理者に彼らを選んだその真意は何なのか……」
「……どうした?」
虚空を見つめて考え込む世音を、パオモンは怪訝な表情で見上げた。
「ねぇパオモン。アンタの前のアヌビモン、それもパオモンだった奴?」
「奴って言うなよ、失礼だろ。まあ、そうだな、オレの覚えてる限りはみんなそうだったと思うけど……」
「成熟期の時のことは?」
「そうだな……オレは確かドーベルモンだった筈だけど……その前はみんなシーサモンだったかな」
そこまで聞いたところで、眼鏡の奥の目の色が変わった。何かに勘付いたパオモンがその場を離れるより一瞬早く、世音の手が丸っこいその頭を鷲掴みにした。
「思い立ったが吉日、パオモン、出掛けるよ‼︎ 」
「ちょ、ヨネ、一旦離せ! 頭皮が剥けちまう!」
「あ、もしもし室長。比良岩です……はい、ちょっとまた、例の件で……しばらく"向こう"にいますので……はい、お願いします、では」
電話口で"出張"の許可を取り付けた世音は、フィールドワーク用の背嚢に思いつく限りの道具を詰め込んでいく。
「あとはえーっと……あ、そうだ。パソコンと、スマホと、野帳とペン忘れてた……よし、これでオッケー」
「身支度の品はどうした?」
「あんな危険地帯でおフロや歯磨きの暇なんてあるわけないでしょ。帰ってから入る」
「えぇ……いや、せめて着替えくらいは持って行けよ……」
一度疑問に思ったならば、それを解明するまで決して止まらない……電子獣学者比良岩世音(三十一歳独身)は、そういう人物であった。
この行動力を、少しでいいから日常生活に向けてくれたらなぁ……パオモン──先々代のアヌビモンだった犬饅頭は、抜けるように青い現実世界の空をぼんやりと見上げた。
その先で一瞬閃いた赤い光の正体が何であったのか、この時の彼が知り得る筈も無かった。
第一話 終
【第一話 登場人物&デジモン】
・ 比良岩 世音(ひらいわ よね)
三十一歳独身のデジモン学者。着眼点は鋭く研究者としての実力は割と上。職場で孵ったパオモンを押し付けられて以降は彼と過ごす。名前の由来は動物学者の平岩米吉氏。
・パオモン
口の悪い幼年期デジモン。その正体は先々代のダークエリアの管理者が転生した姿。
やっべ、パオモンをラブラモン幼年期として認知したの初めてかもしれない。夏P(ナッピー)です。
来たか……個々のデジモンの生態を解き明かす的な話。アヌビモン単独なのかもですが、この流れならラブラモン⇒シーサモンorドーベルモン⇒ケルベロモンのそれぞれを語れる奴! しかしよく考えたらパオモンがめっちゃ前世の記憶持ってるらしいので聞けば済む話と気付いてハァー!
所謂規則進化ルートがシーサモンからドーベルモンに移行したのは、この時点で作中における正解が考えられているのか否かは気になるところ。シーサモン⇒ケルベロモン⇒アヌビモンは東洋⇒西洋⇒エジプトの守護獣をそれぞれ模していますが、そもそもエジプト神話で固めなかったのも(メタ的な意味も含めて)謎である。
以前十闘士で何やかんややってた身なのもあって、これらは色々とこじつけたら楽しい奴。……ん? そういえばスフィンクスってアヌビスを模したって説もあったな……?
紅い光とは一体。デジタマ取り返しに来たパロットモン的な奴か……?
31歳独身研究者は別に悪いことじゃないだろ!? 幼年期に煽られたらおしめえよ! いや台詞的にデジタルワールド行く感じですが、よく考えたら着替えもアメニティー的な奴らも持ってかないのはおしめえだぁ!
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。