爆発音が連続する。
高層ビルの窓ガラスが幾多も砕け、辺り一面に雨となって降り注ぐ。
既に街の中は火の海と言う他に無い惨状となっており、それだけに留まらず紫色の霧のようなものがどんどんその場全ての生き物の生存圏を狭めていく。
自然と息遣い荒くなり、緊張が高まる。
仲間が全員退場してしまった以上、戦うことが出来るのは自分一人。
彼は、倒壊した建物の瓦礫の影に隠れながら、その手に備えた『得物』を見る。
(……もうダメージエリアが迫ってるし、行くしか無い)
意を決し、パチンコ玉に短い手足と大砲をくっ付けたような姿の彼が瓦礫の影の外に出る。
自分とは別の誰かと交戦中の敵チームの内の一体である狼獣人目掛けて腕の大砲からエネルギー弾を放ち命中させ、余程消耗していたのか回避行動を連続して取り始めた狼獣人の移動方向上にエネルギー弾を『置いて』おくことで追撃――狼獣人の体が粒子となって散り散りになり、その場にはいくつかの色取り取りのカプセルと青と白の縞模様の卵などが残される。
それ等を拾おうと駆け出したパチンコ玉だったが、横槍を入れ、漁夫の利を得んとした彼に向けて戦場の先駆者たちの内の幾人かが視線を向けると同時、各々が自らの攻撃手段を解き放った。
ミサイル、斬撃、銛、岩石――などなど様々な飛び道具が殺到し、パチンコ玉はひたすらに回避しようとしたが、いくつか被弾をしてしまい、気付けば視界の端に赤色が滲むようになっていた。
牽制のエネルギー弾を放ち、兎にも角にも遮蔽物の裏に隠れ直すが、パチンコ玉の彼の表情に喜びは無い。
成果よりも損失のほうが大きいと、現在進行系で理解させられているからだ。
(全回復にはSP《セキュリティポイント》カプセルが足りない……! くそっ、今のはダメージを許容してでもあのワーガルルモンのアイテムを回収すべきだったか!?)
後悔してももう遅い。
持ちうる限りのアイテムを使って回復を終えたのとほぼ同時のタイミングで、遮蔽の裏に隠れていたパチンコ玉に異なる敵が襲いかかる。
回避と逃避に専念するもHP《ヒットポイント》がどんどん削れていき、そして、
(あ)
ドドドドドドドドド!! と。
いっそ工事現場の掘削音を想起させる程度には猛烈な、ガトリング砲の発射音を認識したその瞬間が、パチンコ玉の退場の合図であった。
視界が僅かに暗転し、ふとして戻った時には、ただ周囲の状況を遠目に眺めることしか出来なくなった元パチンコ玉の現在鈍色のタマゴな彼は、数秒のちにその世界から消失した。
そして。
そうしたモンスターたちの戦いを、間近に目撃していた男――米咲乾土《よねさきけんと》はこんなふうにぼやいていた。
「やってるやってるぅ」
戦い、そのための行為の結果として在った、ガラスの雨も燃え盛るビルの姿も瓦礫の山も、彼には視えていない。
視えているのは、色取り取りでありながら同時に半透明のモンスター達が争い、街の上を駆け回る姿――そのホログラムのみ。
新型VRバトルロイヤルゲーム『ゴーストゲーム』――それがこの現実に映し出された現象の正体であり、数多くのプレイヤーに遊ばれているゲームの名前だった。
内容としては、ゴーグルの形をした専用のコントローラーを頭に取り付け、取り付けた人間の意識を電脳空間上に存在するアバター――すなわちデジタルなモンスターの『中』に転送、定着させ、自らの意思で動かせるようになったそれ等を用いて対戦をするというもの。
こと現代に至り、この手の『精神のデータ化』は珍しくもない話であり、ビジネスの話においても学業の話においても多種多様に利用されており、このゲームもまたそうした技術を用いた娯楽の一つであった。
電脳世界においてはそれこそ目に見える形で、世紀末染みた破壊の応酬が巻き起こっていることだろうが、その実害が現実に反映されることは無い。
故にこそ、どれだけ恐ろしい様相の怪物が姿を現そうと、その驚異的な破壊力を示す攻撃のエフェクトが巻き起ころうが、巨大な足で踏み潰されそうになろうと、それを視ている住民達が恐怖の色を宿すことはない。
むしろ、ホログラムとして映し出された怪物たちの戦いに、スポーツでも観戦するような心持ちで黄色い声援を送る者までいる始末だ。
現実に現れているものではない、自分に危険が及ぶものではない、あくまでも風景の一部に過ぎない――そうした前提が、モンスターに対する危機的感情を完全に欠落させている。
時に、道行く人々の中、音漏れの激しい安物のイアホンからいくつかの入り混じった声が聞こえてもくる。
『はいー、どうも野生のたぬきちでーす。今日はフウマモンで活躍するコツを――』
『えぇ? サイバードラモン? 知らない、そんなクソキャラ俺は知らない……ッ!! そんなモンは俺の記憶野からデリートした……!!』
『教えはどうなってんだ教えはァ!!』
どうやら誰かの実況プレイ動画か配信でも見ているらしい。
他のゲームでもそうであるように、この『ゴーストゲーム』にも動画投稿者や配信者の類が数多く活動を開始し、中には収益を得ている人物も存在している。
そして、米咲もまたそうしたゲームの配信者の一人であり、この日彼は知り合いの配信者と会う予定を立てていた。
ブルースクリーン第2区。
技術のステージがいくつもの段階を駆け上がっていくの過程で、新たなる都市のパッケージとしてデザインされることになった東京都のエリアの一つ。
そんな、ホログラムを映し出す機材が建造物の各部に設けられ、青空を映し出す液晶画面だらけの都市を歩き続けている内に米咲の視界に入ってきたのは、一周まわってレトロな雰囲気さえ感じさせるゲームセンター。
その入り口で、目的の人物は待ち構えていた。
「おーっす久しぶりですー。炭水化物さん」
「こんちわー、くるーえるさん。今回は色々すいませんね」
青に染めた短髪が特徴的なその男性と、互いに配信者としてのインターネット上での名前で呼び合うと、それぞれ歩幅を合わせつつゲームセンターの中へ入っていく。
中にはUFOキャッチャーだのモグラ叩きだの、昔馴染みのゲームが設備されており、そうした諸々の奥に大きな液晶画面やスピーカーを天井近くに備えた、ヘリコプターのコックピットのようにも絵本で見るような恐竜の卵のようにも見える球体の形をした筐体が複数見えた。
合計8つほど横に並んでいるそれ等の内、自販機に最も近い位置にある一つに近寄ると、くるーえると呼ばれた青髪の男は米咲に向けてこんな風に言った。
「動画とかで予習はしてるんですっけ?」
「少しだけ。まぁ、進化属性調節とかエリア別のアイテムの傾向とかよく解んなかったですけど」
「そういう玄人向けの知識は後回しでいいんですよ。とにかく、最初はやってみないと」
そう言うと、くるーえるは米咲に対して「入ってください」と簡潔に告げ、米咲は言われるがままに筐体の中へと入っていく。
筐体の中は外殻と同じく真っ白で、大きめの背もたれがある専用椅子とプラネタリム染みた内壁が特徴的だった。
実のところ、米咲が『ゴーストゲーム』を遊ぶのは今回が初めてであり。
くるーえるは今回、同じ配信者のよしみで付き添い指南するために――そして、そうした口実でのコラボ企画のために――協力してくれる事になった相手なのである。
幸運にも住まいは近辺で、それ故に合流は容易な部類だった。
米咲がひとまず専用椅子に座り込んだのを確認すると、くるーえるは軽い調子で言葉を紡ぐ。
「基本はゲームのほうから勝手に教えてくれますし、まずは気楽にやりましょう。どいつ使うかぐらいは決めてるんですよね?」
「まぁ一応は。くるーえるさんがいつも使ってるのは……何ですっけ? パイナップルドラゴン?」
「パイルドラモンですよ。というか出してる動画でそいつの出番が多いだけで、推しは別にいますよ」
「ふーん。推しじゃない割りには気にいってるように見えたんですけどね」
言うだけ言って、米咲は一つの端末を取り出した。
腕時計をゲーム機のように平たく固めたような形の、筆箱よりも少し大きめな程度の携帯端末。
デジヴァイスと呼ばれるそれの、外部を覆うように取り付けられたパーツを取り外し、ゴムバンドを引きずり出すと、まるでゴーグルのように目線を覆う。
手に持ったデジヴァイスからの信号を受け、遮られた視界いっぱいに光が点る。
直後。
米咲乾土の意識は現実の領域より乖離する。
彼の意識は、電脳世界に向けて投射された。
◆ ◆ ◆ ◆
一方その頃、別の区域ではより一層凶暴さを増すモンスター達の戦いが、ホログラムによって投影されていた。
通称、朱雀杯。
ブルースクリーンと呼ばれる区域の南部の各所で開催されている『ゴーストゲーム』の大会であり、都内最強のチームを決める本選こと黄龍杯への参加資格を賭けたある種の予選にあたる負けられない一戦である。
プレイヤーにのみ視える、踏み込めばダメージを受ける死の霧に囲まれた領域に現存するチームは二つ、頭数はそれぞれピッタリ三体ずつ。
片方のチームは、誰も彼もが機械仕掛けのメカメカしいラインナップとなっていた。
一体目、キャノンビーモン。
蜂の巣の形をした武装コンテナ『スカイロケット∞』を背負い、蜂の毒針を模したが如き主砲『ニトロスティンガー』を下半身に携える機械仕掛けの殺戮虫であり、ゲーム中において屈指の弾幕展開力を有するモンスターの最上位の一体。
その気になれば戦場を火の海にすることは容易いだろうが、どうやら狙うべき敵の姿が見当たらず、かと言って無闇に居場所を悟られるのも良くないと感じているらしく、燃え盛るビルの高度そのものを遮蔽として巨体を隠しながら、虎視眈々と暴力を開放する機会を待っている様子だった。
二体目、メタリフェクワガーモン。
金色の鋼で武装し、人間に近しい形をもって進化を果たした機械虫。
両手の銃口と化した五指からは自らの意思で軌道を操作出来る『ホーミングレーザー』を放つことができ、その技術の応用で近距離戦闘もお手の物とするゲーム中指折りのオールラウンダーの一体。
キャノンビーモンが攻撃を控えて機を伺っているのに対し、彼は断続的に遮蔽に身を隠しながらも五指から放たれる『ホーミングレーザー』によって敵チームの潜んでいそうな場所を虱潰しに探っていた。
ダメージ判定を確認出来れば即座に居場所を報せ、キャノンビーモンの火力を存分に発揮してもらう算段らしい。
三体目、ホバーエスピモン。
水色の鋼によって形作られた、小動物染みた形状の頭部と体躯の半分以上を占める名前通りのホバー機構が特徴的な、潜伏と調査の機能に特化した空飛ぶ情報屋。
光学迷彩『ダイバニッシュ』を用いている間はいかなる速度域においても姿と音を感知されず、ミサイルやバルカン砲による攻撃能力以上にそれ等の索敵能力から戦闘能力こそ劣れどチームに一体はいてほしいと希望される便利な一体。
彼もまたメタリフェクワガーモンと同じく、キャノンビーモンの火力を発揮させるために安全圏内のビル群に潜む敵チームを探すために動いている。
火力担当が一体に索敵担当が二体と、一見偏ったチーム構成はある種の信頼を感じさせた。
そうした怪物達を操るプレイヤー達の間では、状況の把握を深めるためのボイスチャットが繰り返し行われている。
『こっちのビルにはいませんね。そっちは?』
『ホーミング撃ちまくってるがダメージ判定が無い。こんだけ撃ってれば誰か一人ぐらいは流れに当たってそうなもんだが』
『んー、こっちを小突くやつもいません。まだ成長期で小っこいから見つからない……とか?』
『それなら勝ちも当然だが警戒怠って射線を通さないようにしとけよ。小さいは小さいでもマメモンとかの可能性もあるんだ』
緊迫したやり取りの間にも紫色の霧が迫り、無害な領域が失われていく。
安全地帯が全て失われ、全てのプレイヤーがダメージを受け続ける状態まで戦況が長引けば、モンスターの生存権たるHP《ヒットポイント》が高く、尚且つそれを回復出来る物資を多く抱えているプレイヤーのほうが優位となる。
そういう意味では、鋼を宿す三体は危うい状態にあった。
HP《ヒットポイント》の身代わりとなるSP《セキュリティポイント》も含めて万全の状態でこそあるが、激戦を経て既に物資は枯渇の傾向にある。
早々に敵を探り出さなければ、場合によっては敗北するのだと、そう理解しているからこそ彼等に余裕は無い。
メタリフェクワガーモンとホバーエスピモンの二体が建造物を蜂の巣にする勢いで攻撃を放っていくが見つからず、遂に探していないビルが最後の一つになった頃、
『――1体見つけた、シルフィーモンだ』
もう一つのチームの一人が姿を現した。
一体目、シルフィーモン。
猛禽の特徴を各部に含んだ白の上半身と赤の下半身、そして頭に装着したヘッドマウントディスプレイが特徴的な天翔ける狙撃手。
見た目通り強靭な脚力によるジャンプ力と翼を用いた滑空能力、それ等を用いた高速戦闘を得意とする最高クラスのモンスター達こと『完全体』の内の一体。
彼は、居場所を探り当てられたと察してか、ビルの窓を蹴り破りながら自ら姿を現し、両腕の翼を用いた滑空で一気にメタリフェクワガーモンとの間合いを詰め、赤色を帯びたエネルギーの弾丸を繰り出していく。
半ば奇襲に近い形で繰り出された一撃はメタリフェクワガーモンに命中するが、たった一撃では彼のHP《ヒットポイント》どころかSP《セキュリティポイント》さえ削りきるには至らず、メタリフェクワガーモンを操るプレイヤーは焦る様子もなく『ホーミングレーザー』を放ちつつ、仲間へ情報を伝える。
『よし、マーキングした!!』
『――了解。ブチ貫きます!!』
大まかな位置さえ掴めれば問題は無い。
キャノンビーモンの主砲『ニトロスティンガー』には建造物を貫通する性能が含まれており、ビルを遮蔽として隠れた状態からでも敵を攻撃することが出来るのだから。
仲間から伝えられた情報を元に、キャノンビーモンはその膨大な火力を解き放っていく。
避けられること、当たらないことなどは織り込み済み。
遮蔽の無い場所にまで追い込み、仲間の攻撃と合わせて確実に仕留められさえすれば、頭数での優位を獲得して残る二体をより確実に処理出来る。
そんな思考のもと攻撃を続け、キャノンビーモンのプレイヤーは動き回った挙句に射線が通る位置にまで来たシルフィーモンに対し、主砲『ニトロスティンガー』に加えて武装コンテナ『スカイロケット∞』を解き放とうとして、
『待って、もう一体――』
『――え、ちょっ!?』
が、直後のことだった。
一斉攻撃を放とうとしたキャノンビーモンのプレイヤーから、戸惑いの声がボイスチャットに流れた時には全てが手遅れだった。
ドゴォア!! という凄まじい音響が鳴り響いた時には、ビル上方から狙撃をしていたはずのキャノンビーモンは地表にまで叩き付けられ、元いた位置にはそれまで見つけられなかったことがおかしいとしか思えない緑色の巨大な三本角の恐竜が存在していた。
『トリケラモン!? 何であんなデカいのを見つけられ……いや、それ以前に何であんな空中まで一瞬でッ!?』
敵チームの二体目、トリケラモン。
名前の通り恐竜のトリケラトプスを模したような外見の『完全体』であり、見かけ通りの強靭な肉体からくる耐久力と膂力によって実現された凄まじい威力を誇る突進の破壊力を最大の特徴とする、草食とはとても思えぬ重戦車モンスター。
他の『完全体』と比べて特徴らしい特徴こそ多くは無いが、それ故にシンプルな使い心地が玄人プレイヤーに愛される要因となっていると噂されている。
が、その巨体ゆえに隠れ潜む能力は皆無に等しく、これまでの索敵で見つけられなかった事実は何より、キャノンビーモンのいるビル上部付近の空中にまで踏み込まれるなど、まずありえないはずだった。
ありえない――そう、トリケラモンが単独であれば。
回答は、いつの間にか道路上に姿を現していたもう一体のモンスターそのものが握っていた。
『――最後の一人はマクラモンか!! くそっ、道理でこんだけ探しても見つからないわけだ……!!』
敵チーム最後の三体目、マクラモン。
猿のような見た目の人間と大差無い体躯を持ち、神官のような衣装を身に纏う『完全体』であり、その手に生じさせた『宝玉《パオユー》』を用いて様々なものを閉じ込め管理することが出来る、ゲーム内でトリックスターと称されるモンスターの一体。
そう、閉じ込め管理する能力。
マクラモンが敵チームに存在する事実を認識した時点で、メタリフェクワガーモンとホバーエスピモンのプレイヤーは、何故巨大な体躯を持つトリケラモンの存在にキャノンビーモンに接近されるまで気付けなかったのか、その理由を察した。
マクラモンのプレイヤーが、トリケラモンを――そしておそらくはシルフィーモンや自分自身も――『宝玉《パオユー》』の中に閉じ込め隠し、キャノンビーモンのすぐ近くにまで近づかせた上で『宝玉《パオユー》』の中から開放、ほぼ完璧な形で不意討ちを成功させられるように仕向けたのだ。
モンスターの実質的なサイズをソフトボール大にまで縮めてしまうことが出来る以上、隠れ潜むことなど造作も無かっただろう。
そして、それに感付いたところでもう遅い。
キャノンビーモンの至近にて『宝玉《パオユー》』から解放され現れたトリケラモンは、既にその三本の角をキャノンビーモンの命運を確定させている。
『ナナハチさん!! 逃げ――』
『――あーっ、無理ですホロタマ化しました!! こっちは無視して迎撃を……!!』
『くっ……!!』
数的有利は、一瞬で敵に傾いた。
残るメタリフェクワガーモンとホバーエスピモンは、物資の乏しい中でシルフィーモンとトリケラモンとマクラモン――合計三体の『完全体』を二体で仕留めなければならなくなり。
間合いを離そうにも、既に安全圏と呼べる領域は狭まっていて。
そうした優位性を敵チームが活かさないはずもなく。
合計三十二秒ほど持ち堪えた末に、機械仕掛けの三体は卵と化して敗北した。
◆ ◆ ◆ ◆
米咲乾土は奇妙な圧迫感に囚われていた。
空間自体は卵というよりは繭のそれに近い紡錘形で、椅子のようなものは見当たらないが米咲の背中には背もたれの感触が吸い付いていた。
座っているようで、寝床に横になっているような、そのどちらでも無いような、不思議な感覚。
周りに視える色彩は四方八方真っ白で、出口らしきものはどの方向にも見つからない。
まるで、卵の中の黄身か何かにでもなったかのような錯覚の中、五感情報のうち確かなものは、己の手(?)が掴んでいるデジヴァイスの感触のみ。
そして実際、ここからの米咲に必要なものはデジヴァイス以外特に無かった。
(えぇと、大体は自動でやってくれるって話だったけど)
ポチポチポチ、と。
デジヴァイスに表示された『ゴーストゲーム』のスタート画面を押していくと、思いのほかスムーズに事柄が進んでいく。
ユーザー登録、ログイン処理、サーバー選択、などなど。
その他諸々の処理を含め、無料ダウンロード出来る数多のネトゲと殆ど変わらない必須事項を簡素に済ませると、白一色だった周りの景色が突如として緑の蛍光色を帯びる。
0と1の数字が乱舞するのを眺めていると、突如として米咲の耳を震わす声があった。
『こんばんちわー、ユーザーネーム炭水化物サマ。率直に言いますがそのユーザーネームで本当に大丈夫だったんでしょかマジで。ニンゲンサマの自覚、あります?』
「え、誰? 見知らぬ女の子にいきなりドン引きされてる気がするっ!?」
『あ、これは失礼。私はこの「ゴーストゲーム」内に内臓された、操作方法とかルールとかその辺りの基本を教えるとかその辺りのサポートをするAIのヒカリちゃんですぜぃ、どうもよろしくね』
「このAI少女ってばいきなり対応が塩すぎるし口調めちゃくちゃすぎない……!?」
いつの間にか米咲の視界の左端に表示されていた小さなウィンドウ、そこからビデオチャットのように顔だけを覗かせていたミニマムな自称サポートAIな少女ことヒカリは、AI――人工知能のわりにはやけに人間くさい、軽々とした口調で言葉を発していた。
思い返してみればこの『ゴーストゲーム』のPVを視聴した時もこんな容姿の少女が説明していた覚えがあるが、米咲の覚えている限りこの少女の口調はもっと幼く、可愛げのあるものだった気がする。
同じ顔の人間は二百パターンは存在すると思え、とは誰の言葉だったか――困惑する米咲のことなど気にも留めない様子で、ヒカリは説明を続ける。
『「ゴーストゲーム」に参加するにあたって、まずは炭水化物サマの操るモンスターを作成しなければなりません。とりあえず、何でもいいのでデジヴァイス内のデータを一つこちらの画面にドラッグしてもらいます。何ならランダムにこっちで選ばせてもらいますけど』
「えっ、モロに個人情報使うのこのゲーム!?」
『? 利用規約の中にもしっかり記述がありますよ? プレイの過程で利用者のデジヴァイスのデータを使用することがあるためご了承くださいって。ダメじゃないですかも~う。ネットゲームするならちゃんと利用規約に目を通しておかないと~』
「いやだって大体どこのネトゲもおんなじ規約じゃないか!! 面倒くさいよぅ!!」
『自業自得ってことで流しておきますけど~。何でもいいのでデータ選んでくださいますか? イラストデータとかならより好ましいですね~』
あっあっあっ、と。
何か急かされてるような感じがして、米咲は急ぎ調子でデジヴァイス内に保存していた画像ファイルのデータを漁り、そして選択する。
なんとなくの感覚で選ばれたのは、SNSのプロフィールのアイコンにも用いていた――空飛ぶはんぺんのような何か謎な――キャラクターの画像だった。
データファイルの選択が済むと、見る見る内に周りの景色が色付いていく。
ファイルをドラッグした画面の中でいくつもの0と1の数字が乱舞し、気付いた時には画面に見覚えの無いモンスターの姿が描き出されていた。
まるで魔法使いか何かが被るようなトンガリ帽子を被り、青いマフラーを首に巻いた、蒼い炎が子供の胴体と両手と顔を形取ったような――幽霊そのものと言える見た目の何かが。
『これは「ゴースモン」ですね。名前の通り、幽霊《ゴースト》と呼ばれる不確定のデータによって構築された種族、とデータベースにはあります。ある意味ではこのゲーム"らしい"チョイスとなりましたが、望み通りになりましたか?』
「いや全く望んでないんだけども。提出した画像に書かれてるのはこんな不気味なのじゃなくて、どちらかと言えばその……えと……よく覚えてないけど餅とかの……」
『読み取れる情報が自分でも解らないぐらい空っぽだったから肉体が無い子が構築されたってことですかね』
「最近のAIって皮肉まで実装されてるの???」
意図も何も無く、形作られたモンスターは偶然にもゲームのタイトルをなぞるようなものだった。
どちらかと言えばドラゴンとか狼とかのカッコいい生き物の方が好みな米咲としては心底フクザツではあるが、経緯がどうあれ自分が生み出したものである以上、勝手な都合で放棄してしまうのはあまり良い気分がしないと感じ、米咲はひとまず操るモンスターにゴースモンを選ぶことにした。
次に、と簡潔に告げるとヒカリが言葉を紡いでいく。
『モンスターの作成が完了しましたので、早速チュートリアルへ移行しましょう』
言葉の直後、ゴースモンの姿だけが映し出されていた四角の画面に、見慣れた東京都の街並みが映し出される。
このゲームでプレイヤー達が競い合うことになる舞台。
気付けば、ゲーム画面上でゴースモンの姿は見えなくなり、
(FPSみたいな一人称視点でやるんだな。まぁ、売り文句的にも当然か)
『基本操作のガイドを画面上に反映させますので、まずは試しに動き回ってみてください』
「はいはい」
ふう、と仕切りなおすように息を吐く。
見えない背もたれに体を預けて、いつも自宅でやっているようにそうやってから、指示の通りに手を動かしたり体重を移動させたりしていく内に。
ふと疑問を浮かべた。
(いつもながら、具体的にどういう仕組みなんだろ)
生まれた頃から存在している技術。
当たり前になりすぎて、誰も疑問に思わないもの。
いわゆる『精神のデータ化』が、体感と実体を分離させる技術であることは米咲も学校で習っているため知っているが、具体的にそれがどのような理屈で実現されているものなのかは知らない。
誰もが、きっと何かフクザツな仕組みがあるんだろうなと曖昧に思考を放棄したまま、その恩恵を受けている。
そして、米咲乾土もまたそうした多勢の内の一人に過ぎなかった。
(まぁ何でもいいよね。楽しいならそれで)
どんな形であれ、フィクション上の存在でしかないモンスターになりきれるというのは、楽しい。
不運にも幽霊を模したモンスターであるためか五感の感覚が若干薄い気もするが、冗談抜きにふわふわとクラゲのように軽くなった体の感覚というものは、リアルでは一生かけても感じられないもので、ロマンを感じさせた。
浮遊しての移動、手からエネルギー弾を放つ攻撃手段、透明になる能力などなど、ゴースモンというモンスターに出来ることの実践をある程度済ませると、ヒカリから続けざまにゲームのルールに関する説明があった。
『「ゴーストゲーム」で操ることになるデジタルなモンスター、電子の幽霊ことホログラムゴーストが戦う際、最も必要になるのが画面の左下に見える緑色のゲージで表されるHP《ヒットポイント》と青色のゲージで表されるSP《セキュリティポイント》です。HP《ヒットポイント》の数値が敵の攻撃などによって0になると、その時点で戦闘不能。その場にホログラムゴーストの卵ことホロタマとなって、味方の手で回収されて専用のアイテムなどで蘇生されない限り、退場となります』
ゴースモンの視界越しに、動画サイトで対戦動画を見た際に見覚えがある色とりどりの大きなカプセルが視界に現れる。
合計五つあるそれ等は大小の差異こそあれど、左から緑・青・赤の色を含んでいた。
『そうなる事を防ぐために必要なものが、それ等二つの数値を回復するためのアイテムです。あなた目の前にあるのは、左からHP《ヒットポイント》カプセル、SP《セキュリティポイント》カプセル、リヴァイヴカプセル。それぞれ、戦いの中で各所に用意されたアイテムボックスの中に入っていたり、野放しになっていたりします』
「リヴァイヴカプセルが蘇生用のアイテムなの?」
『はい、説明が省けましたね。それでは次の説明に移行します』
今度は視界に様々な色の、四角い箱のような何かが複数現れる。
これもまた、対戦動画の中でプレイヤー達が回復アイテムよりも優先してせっせと探し回っていたような覚えがあって、実際そんな米咲の記憶は正しいものだった。
『こちらはブレイブポイントといって、ホログラムゴースト達が「進化」をするために必要な、いわゆる経験値と呼べるものです。先に見せた回復アイテムなどと並行してこれを集めることで、自分の操るホログラムゴーストを強くしていって、最終的に勝ち残る……というのがこのゲームの基本になります』
「どれも経験値なんだよね? 何でそれぞれ色が違うの? 経験値の量が違ったり?」
『量の違いは大きさに依存しています。色が異なるのは、それぞれ司る属性が異なるからですね。リュウウ・ケモノ・トリ・ショクブツに、ワクチン・データ・ウイルス・フリー……などなど、どこぞの草タイプや炎タイプみたいに、ホログラムゴーストにもそれぞれ司る属性の違いというものがあって、それ等は全て獲得してきた経験値の内容を強く受けた結果だったりするんです。リュウの経験値を手に入れ続けたらリュウのホログラムゴーストに進化する、みたいな感じですね』
「……あぁ、だから進化属性調節とかそういう動画が投稿されてたのか……」
『そういうことですね。上手なプレイヤーさんは、狙いのブレイヴポイントがどのような場所に出やすいのかをよく知ってるので。もちろん、同じ狙いのプレイヤーさんと戦うことになるのは避けられない選択ですけども、知見のあるプレイヤー同士がチームを組んでいるのなら、事前に合意を取って譲り合うなんてことも出来ますから、チームメンバーとの意思疎通はしっかりやっておくべきですね』
つまり、この四角い箱(?)を多く手に入れればゴースモンは別の姿へと『進化』するということらしい。
どのような姿に進化するかは経験値たる四角い箱の内容次第で、
『進化の方向性を調節したい場合、狙いのブレイヴポイントだけを集める以外の方法だと、マテリアルアナライズを使うのが最適解ですね』
「マテリアルアナライズ?」
突然、初めて聞く名称が飛び出してきた。
疑問の声を漏らすと、ヒカリは変わらず軽快な調子でこう説明する。
『先程ゴースモンを作成するのにも使用していた、補正効果サービスのことですよ。現実世界にある物質から情報を読み取って、その特徴や性質を基にホログラムゴーストを新しく作成したり、元々所持しているホログラムゴーストに組み込んで進化の傾向をカスタマイズしたりする事が出来ます』
「そんな機能、動画とかでも聞いたことないけど……」
『プレイヤーの間では、オプション機能と同じレベルで「わざわざ動画にしてまで説明することじゃない」と認識されているんでしょう。一例として、人間の体を読み取らせると進化後の姿が人間に近いものに成りやすくなったりします。指が5本になったり髪の毛が生えたりが主な傾向ですね。もちろん、これは健全なゲームですので変なものを読み取らせても変なものが生えるようにはなりませんというか生えてたら余裕でアカウント削除ですけどね』
「――変なものって?」
『お答えしかねます』
ここだけ、妙に機械質というかお固い対応だった。
世の中には触れてはならない部分というものがあるのだろう、ひとまず説明は説明としてありがたく頭に叩き込んでおくこととする。
(くるーえるさんのパイルドラモン? に髪の毛が生えてたのもそういうこと、なのかな)
『何にせよ、マテリアルアナライズについては試すにしても現実世界に戻ってからの話になります。今の時点では、それをすることで望みの方向性に「成りやすく」出来るとだけ覚えておいてもらえれば。進化の結果自体は基本的にランダムですので』
「はーい」
『それでは、モノは試しです。ガイドに従って、その場にあるブレイヴポイントを全て回収して、進化を成立させてください』
言われた通りに操作をし、ブレイヴポイントと呼ばれている四角の何かを全て集めると、ゴースモンの視界が突如としてチリチリとノイズを発しだした。
画面上に数多の0と1が乱舞し、意識に酩酊にも似た感覚が生じ、気付いた時には米咲の視点はゴースモンの体を外から眺められる位置に動かされていた。
米咲の目の前でゴースモンの体が、コマが回転するかのように高速で回転し、粒子状に分解され、異なる形へと生まれ変わっていく。
再構築されたその姿は、元の幽霊の面影を僅かに残した姿。
髑髏の飾りをつけた青色のとんがり帽子を被り、同色のマントに怪物の目や口を模ったデザインの衣装を身に纏い、向日葵を想起させる飾りのついた短い杖を手にした、童話にでも出てそうな魔術士。
進化を果たしたその体の周囲に浮かび上がった文字列から、そのホログラムゴーストの名をウィザーモンと呼ぶらしい事を認識した直後、米咲の視点が元に――ゴースモンからウィザーモンへと進化したそのホログラムゴーストの視点に――戻る。
ゴースモンになりきっていた時とは違い、人間のそれと同じように地に足を着いている感覚があった。
『きちんと、最初の進化を成立させましたね。ホログラムゴーストは進化をしていない最初の姿を「成長期」、一度進化した姿を「成熟期」、そして二度目の進化を果たした姿を「完全体」……つまり最も進化した姿としています。チュートリアルの範囲では試しませんが、そのウィザーモンというホログラムゴーストにも次の段階があります。お楽しみに~☆』
「なんか次回へ続くみたいな言い方だけども。チュートリアルはこれで全部?」
『いやいや、流石にこんな中途半端な形では終わらせませんよー。最後は進化したその体で、CPUの操るホログラムゴースト達を全てやっつけて、生還していただきます。CPUはちゃんと攻撃もしてくるので、受けたダメージをカプセルで回復しながら立ち回ってくださいね。倒されたらやり直し、デス♪』
(要するに基本の総集編って事か。ようやくチュートリアルも終わりかぁ)
『それでは、さっさとタイクツなチュートリアルを終わらせたい炭水化物サマの希望に応えて、さっさと始めちゃいましょう。バトル開始ー!!』
「なんか思考読み取られた!?」
妙に人間くさいサポートAIだな、と内心で呟いている間に状況は動く。
ウィザーモンの眼前に、狼や恐竜などといった様々な姿のホログラムゴーストが姿を現したのだ。
残り5体、と視界の左上に薄く表示されたのを認識したのと同時、最も近い位置にいた――赤い毛皮の狼そのものといった様相の――ホログラムゴーストが、ウィザーモンに向けて口から冷気を伴った衝撃波を放ってくる。
「あっぶな」
(えぇと、攻撃はこうするんだった……よな)
視線を向けられた時点で真横に転がり回避行動を取っていたため何事も無く、返す刀で米咲はウィザーモンの攻撃手段である短杖を向け、ゴースモンの時と同様の――手からエネルギー弾を放つ――操作を行った。
すると、杖を向けた赤い狼の至近に黒い雷雲が出現し、一秒経ったのちに炸裂する。
連続でダメージの判定が出ているらしく、数多の青や赤の数字が赤い狼の体から浮き出た直後、赤い狼は卵へと変じていった。
戦闘不能を意味するその変化を見届け、米咲はその視線を別の――赤く、大きな体の恐竜のような姿の――ホログラムゴーストへと向ける。
残り4体、という視界左上のガイドを傍目に、走りだしながら思う。
(本当に魔法使いみたいな性能してるんだな……)
「――これは、大当たりかも」
その後も、巨大な昆虫やロボットなどといった様々な姿のホログラムゴーストと鉢合わせになり、様々な攻撃を仕掛けられたが、危ういと思えるほどのダメージを受けることはなく。
最後に、悪魔のような姿のホログラムゴーストに対して致命の雷撃を加えて卵に還し、米咲のチュートリアルは終了した。
途端に意識が明滅し、立つ場が別の何処かへと切り替わる。
東京の街並みは何処へやら、気付けば米咲の視界には商店街を模したような、どこか古びた街並みが映し出される。
体もウィザーモンのそれからゴースモンのそれへと戻っていて、気付けば周りには頭上に日本語や英語の文字列――というか名前を浮かべた小柄なホログラムゴースト達が見えるようになっていた。
「ここは……」
「ロビーですよ。どうやらチュートリアルは終わったみたいですね」
困惑の声に返す言葉があった。
聞こえた方へ振り返ってみれば、そこには紫色の体色をした、腕が翼のようになっている小柄なドラゴンが立っていた。
声に覚えがあって、思わず米咲は問いを返していた。
「くるーえるさんですか?」
「はい。プレイヤーネームは頭の上に表記されてるでしょう? ゴースモンがいきなり出てきて、炭水化物さんの名前が見えたので、早速こちらでのコンタクトを取らせていただきました」
「……それがくるーえるさんのホログラムゴーストですか。動画だと別のを見た気がしますが」
「収益化を維持する都合、ずっと同じのだけを動画化するわけにはいきませんからね。他にも色々作成してはいますよ」
紫の子竜ことくるーえるは米咲にそう返すと、待ち侘びたとでも言わんばかりに早速切り出してきた。
「では、早速ですが一緒に二人チームのフリーマッチに行きませんか? 基本的な部分は知れたはずですし、コツを掴むならやっぱりランクも何も失うものが無いフリーマッチでの実戦が一番ですよ」
「あー、はい。お手柔らかにお願いします」
若干緊張気味に返事をして、米咲はくるーえると共に商店街の出口――もといフリーマッチモードを遊ぶための入り口へと向かっていく。
歩いていく中でも、各々異なる様相のホログラムゴーストの姿が見えて、米咲はこれがVRの技術を用いたゲームであると理解した上で、まるで異世界か何かにやって来たような感覚を覚えていた。
現実には存在しないモンスターになりきって、商店街を歩く。
到底現実ではありえざる状況、楽しくないと言ったほうが嘘になる。
これからしばらくは退屈しないだろう、そんな確信があった。
そして実際、その確信は間違いではなかった。
退屈なんて言葉とは無縁の特異点が彼を――否、彼等を待ち受けていたのだから。
◆ ◆ ◆ ◆
「「「いえーい!!」」」
所変わって、ブルースクリーン南部の一角こと第7区――にあるカラオケボックスにて、祝杯の声が上がっていた。
薄着の黒のシャツを着た赤髪の男と『I LOVE TINPAN』と文字の描かれたライムグリーンのシャツを着た黒髪の男、そしてブラウンカラーに染めた長髪が特徴的な白と黒のストリートスタイルな格好の女。
三人の男女はつい先ほど朱雀杯の予選を勝ち抜いた『ゴーストゲーム』の強豪プレイヤー達であり、今回は予選突破の記念としてカラオケボックスで軽くエンジョイしよう――という誘いを切っ掛けに集っていたのだった。
シルフィーモンを操っていた赤髪の男はコーラを一口飲んでから、マクラモンを操っていたライムグリーンのシャツの男に向けてこんな事を言う。
「しかし、驚くほど上手くいきましたよね。園長さんの、マクラモンの能力を利用した奇襲。思いついたのも凄いですけど、まさか予選の場で実際に成功させるとは」
「いやぁ、実際に成功させたのは攻撃をしっかり命中させた飛鳥《あすか》さんですよ。結局、あんなの一気に倒しきれないと反撃で蜂の巣にされちゃうわけですし」
「責任重大で流石に緊張しましたよぅ。ともあれ勝てたから全部おっけーぃ!! キジ太郎さんもお疲れ様でした!!」
いえーい、とノリノリで歓声を上げる三人。
ゲームの出来事だろうが、勝ったところで人生に影響が出るわけでは無かろうが、何であろうが交友を持った相手と共に何かを成し遂げた瞬間というものには、代え難い歓喜があったのだ。
こればかりは、プレイヤーにしか理解の及ばない範囲の感情である。
各々が菓子やらジュースやらをつまみながら、交代交代しながら好きなアニメの歌を歌い合う。
ありふれた談笑の一場面。
そこで、一つ取り上げられる話題があった。
「――しっかし、あんまり水を刺すような事は言いたくないですけど、最近増えましたよね。文字化けの……超越者なんて呼び方で取り上げられてましたっけ。そいつ等が出たって呟き……」
「ですねぇ。運営も対応中、なんてアナウンスは出してくれてますけど、特に減ってないように感じますよ」
「? 超越者、って何のことですか?」
「あぁ、飛鳥さんはこの辺りの話に興味無かったですか。まぁつまらない愚痴にしかなりませんし、何なら別の話題でも……」
「いや、普通に興味あるので、知ってることがあるなら教えてもらえますか?」
飛鳥《あすか》と呼ばれた女性プレイヤーの問いに対し、園長、キジ太郎と呼ばれたワケ知りな男性プレイヤー二名がこう返す。
「直球で言えば、卑怯者《チーター》ですよ。通常、ホログラムゴーストの進化は今回の予選で俺たちが使ってた『完全体』が最高で、それ以上の進化は無い設定なんですけど」
「無理やり弄くって、それ以上の段階の進化を設定したとしか思えない性能のホログラムゴーストが最近見受けられるようになったんですよね。さっき言った超越者って呼び方を筆頭に、巷では究極体とかルールブレイカーとか、まぁ色々と呼ばれてます。今回の予選では現れませんでしたが、そいつは大会だろうがフリーマッチだろうが何処にでも介入してくるんだとか。いやー、来てたらマジで予選がめちゃくちゃになる所でしたよ。運営が仕事したんですかね」
「ふーん……わざわざズルしてまで勝ちたいって、よくわかんない考えですね」
飛鳥は特に深くは考えず、自然と疑問符を浮かべていた。
ズルをしてまで勝ちたいやつの気持ちなど、いちいち考える事は無いと断じるように。
実際、ただの卑怯者の話でしかないのなら、飛鳥としてはもう脅威を抱く理由は無くなっていた。
だが、噂話はそこでは打ち切られなかった。
超越者、あるいは究極体などと呼ばれるプレイヤーについて、キジ太郎はこんな情報を付け加えたのだ。
「しかも、噂通りならその超越だの究極だの、よく解らないですがそいつに倒されたプレイヤーにはいろんな『症状』が出てるって話なんですよね。足に力が入らなくなったとか、自律神経がめちゃくちゃになったとか、意識不明になったとか……」
「急にホラーな事言うのやめてくださいよぅ!?」
「まぁ流石に眉唾ですけどね。火の無いとこに煙は立たないって言いますけども」
そして。
真偽など知る由も無いまま、軽い冗談のつもりで園長はこんな風に言葉を紡いでいた。
「仮にそんな事が出来るプレイヤーがいるとしたら、そいつはきっと人間じゃありませんよ」
◆ ◆ ◆ ◆
新型VRバトルロイヤルゲーム『ゴーストゲーム』において、勝利条件はただ一つ。
最後のチームとして、戦場で生き残ること。
ただ一つのチームだけが勝者となり、それ以外の全ては敗者として扱われる。
生き残るための術は全て使うべきであり、卑怯などという言葉は敗者の言い分でしか無い。
そうした前提を踏まえた上で。
ゴースモン、そしてウィザーモンから更に進化を果たした姿――全身包帯まみれの木乃伊の姿をした、マミーモンという名のホログラムゴースト――に成りきっていた米咲は、僅かに苛立ちを乗せた声でこう漏らしていた。
「――いくら何でも、アレは無いだろ……」
東京都を模した電脳空間、その内にある高層ビルの一室の窓から外を覗き見る彼の視線の先。
そこに存在していたのは、一言で言えば暴虐だった。
数多のプレイヤーが、操るホログラムゴースト達が、それぞれの持つ攻撃手段を集中させて尚、衰えを見せない正真正銘の君臨者。
そいつは、全身を純白の鎧で覆う竜人だった。
そいつは、両腕に刃と銃器が合わさったような武具を携えていた。
そいつは、その場の誰よりも光輝いていた。
そいつは、ユーザーネームが文字化けしていた。
そいつは、残りのチーム数が片手の指で数えられる程度にまで減った頃に突如として現れ、見境なく他のプレイヤー達に襲い掛かってきた。
謎の、望まれざる乱入者。
戦いに勝ち残り、ホログラムゴーストを『完全体』まで進化させ、いよいよ大詰めといった状況で、その腕の武具から放たれる光弾や斬撃でもって殆どを一撃必殺で葬り去った理不尽。
どうやら只者ではないらしく、二人チームのパートナーとして共に参戦しているくるーえる――今はクリスペイルドラモンと呼ぶらしい氷の竜のホログラムゴーストに成りきっている――も、明らかに遊びを楽しむ雰囲気ではなくなった様子で米咲に隠れ身を促していた。
彼が言うには、あの謎のホログラムゴーストは『超越者』と呼ばれる盤外の存在であり、あまり良くない噂ばかりを立てているプレイヤーらしい。
倒したプレイヤーから個人情報を抜き取るとか、倒されたプレイヤーが意識不明になるとか、一部妄想の類も含まれるだろうがとにかくロクでもない事になる、と。
そんな厄ネタ塗れのプレイヤーとマトモに対戦する気など起きるはずも無く、どこまでが嘘でどこまでが本当であれ自分達の体で試そうなどと思えるはずもなく、米咲もくるーえるも落胆を覚えながらゲームから抜けようとした。
だが、こうしてこの場に残っていることからも察せられる通り――抜け出すことは出来なかった。
オプションコマンドの欄を開いてログアウトの処理を実行しようとしても、何故かマトモにコマンドは機能せず。
ダメージエリアに向かって自滅してしまおうと動いても、そもそもダメージエリアそのものが消失してしまっている。
ゲームのルールなどとっくの昔に崩壊していた。
まるで、あの純白の竜人が現れたその時点で、ゲームの審判役そのものが切り替わったかのように。
倒されること自体が未知のリスクを内包した純白の竜人を相手に、倒すか倒されるか。
それ以外の選択肢は無くなってしまっている。
カボチャの被り物をした『完全体』は一瞬で右腕に可動した刃に首を断たれて消えた。
巨大な双翼と三本の足を有する黒い鴉の『完全体』は、両腕の銃器から放たれる複数の光弾に貫かれて消えた。
群がるその他多勢も相手にならず、ダメージ一つマトモに通らぬまま、頭数はどんどん減っていく。
米咲とくるーえるが手にかけられていない事実など、偶然以外の何者でも無かった。
(どうやったらあんな無茶苦茶な動きが出来るんだ……?)
米咲やくるーえるを含めた普通のプレイヤーがやっていたのは、あくまでもホログラムゴーストを『操る』という形だった。
手足を動かしたり、武器を使用したり、ジャンプをしたりなどは出来ても、それ等は言ってしまえばゲーム上で決められた操作の範囲でしか無い。
だが、あの純白の竜人を操るプレイヤーは違う。
四肢の動きから些細な挙措に至るまで、明らかに意思の力が体の末端にまで行き届いている。
余計な制限や簡略化などは見受けられない。
これではまるで、成りきっているのではなく、そのものと化しているかのようだ。
『炭水化物サマ、アイツこっち向きましたよ!! 動いて!!』
「!!」
フリーマッチだろうが予定外の状況だろうがチュートリアルの時と同様に付き添ってくれるらしいサポートAIことヒカリの言葉の通り、気付けば純白の竜人の視線は米咲たちの潜むビルの方へと向けられていた。
嫌な予感がして、言われるがままにマミーモンの足が操作に従って動き出すのと同時、純白の竜人はその両腕の銃器を向けた。
直後のことだった。
光弾と斬撃。
その、両腕の動きだけで連続で放たれた二種類の暴虐が一瞬の内に融合し、米咲とくるーえるのホログラムゴーストが潜んでいたビルを×の字に切り裂いていた。
「――――」
もはや言葉も無かった。
オブジェクトの破壊、という行為自体は普通のプレイヤーでも可能な範囲であるにしろ。
ビルそのものが切断され、吹っ飛ぶ――なんてレベルの壮絶な破壊は無かった。
問答無用のフリーフォール。
ビルから放り出される形となった米咲に出来ることは無く、容赦なく地面に叩き付けられる。
幸い、高所から落下したことによるダメージなどはホログラムゴーストに無いが、そんなことで安堵出来るような状況でもない。
最後の獲物として、米咲とくるーえるの居場所を純白の竜人に目視されてしまったのだから。
(く、そ――)
苦し紛れにマミーモンの武器である『オベリスク』の銃口を向けるが、引き金を引くよりも先に銃を握る右腕ごと光弾で消し飛ばされる。
くるーえるの操るクリスペイルドラモンが素早く飛翔し、純白の竜人を凍らせようと猛吹雪を発生させる技『カロスディメンション』を発動するが、恐るべき速度で肉薄した純白の竜人が刃で振るい、氷で構築された外殻ごと左の腕と翼を丸ごと切り裂いてしまう。
呆気なく墜落していくパートナーの姿に、バーチャルの出来事とは思えぬ意識揺るがす衝撃に、危機感が思考を支配する。
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
怪物の喉で叫び、喚いて、操作に用いるデジヴァイスを握り締めて。
その時だった。
ピコン、と小さな音が米咲の聴覚を震わせた。
画面として広がるマミーモンの視界、その隅に字幕のように小さな文字列が生じる。
サポートAIの、疑問の言葉があった。
『短文メール……え、でもこれ、差出人のアドレスは、このデジヴァイスそのもの……?』
疑問の言葉。
つまり、彼女にはその先の文字列を読み取れていないということだった。
てをのばせ
『Tヲ乃罵s』
何もかもが理解不能の危機的状況下で、米咲の意識はその文字列に吸い寄せられていた。
この状況はどうしようも無い。
純白の竜人は反則技を使っているのだから勝ちようが無い――という前提は、本当に正しいのか?
アレを特別にしている力は、チートという言葉一つで説明出来るものか。
今この瞬間、米咲には扱うことが出来ないものなのか。
もしも、そうではないのだとしたら。
誰でも、選択それ自体は出来る、目の前にある選択肢の一つに過ぎないのだとすれば。
それは、普通に『ゴーストゲーム』をプレイしているだけなら、絶対に触れることは無いもの。
最初から目の前に広がっていて、気付かず放棄してしまっている一つの選択肢。
(……上等だ)
さながら、試練のよう。
米咲はマミーモンの視界を映し出す画面よりももっと根元、コントローラーとして扱っているデジヴァイスそのものへ目を向ける。
今掴んでいるものが、現実の肉体が感じているものなのか、それともバーチャルなデータとしての感触なのか、何もかも知らないまま。
(こんなに楽しいゲームを、楽しくない形で終わらせられてしまうぐらいなら。あいつに目にモノ見せられるのなら。どんなに危険な賭けだろうが乗ってやる!!)
てをのばせ。
手を伸ばせ。
バキィッ!! と。
次の瞬間、米咲乾土は両手を使って『操作』の象徴たるデジヴァイスをくの字にへし折った。
コントローラーの破壊、操作の放棄。
勝利、いやそれ以前にプレイを前提とするのなら絶対にやるわけが無い、けれどこの電脳の繭の中で許されているただ一つの『操作』以外の行為。
まるで泡沫のように、折れたデジヴァイスがデータとして分解され、0と1の数字となって散らばる。
乱舞する数字の中心に、一際輝く何かがあった。
0でも1でも無い、色付いた、どこか暖かな輝き。
直感で、それこそがホログラムゴーストを構成する核、存在の中心部であると考えて。
彼は、それに手を伸ばした。
伸ばして、掴み取った。
触れて、熱を感じる。
何かが繋がる。
ズバチィ!! と。
それで、何かが決定した。
致命的な脱線に至る。
急速に意識が覚めていく。
視界いっぱいに東京の街並み、その荒れた姿が曝け出される。
何やら驚いた様子の純白の竜人の姿が見える。
そいつはクリスペイルドラモンの首筋に向けていた左腕の刃を米咲の方へと向け、凄まじい速度で接近すると同時に縦に振るってくる。。
目の前にボールが飛んで来たから思わず首を振った――そんな感覚でホログラムゴーストの体を操り、半身を逸らして振るわれた刃を間一髪のところで回避する。
当たり前のようにそう動いてから、遅れて米咲は気付く。
(あれっ)
攻撃が視える。
動きが間に合う。
マミーモンの性能では、今まで純白の竜人の攻撃を見切ることなど到底出来なかったというのに。
(そのはずなのに、実際に出来てる……?)
五感が鮮明になる。
デジヴァイスを操作するまでもなく、ホログラムゴーストを動かせる。
自分自身が、そのものに成ったが如く。
操作という域を出て、自分自身の意思をダイレクトに伝えて、動かせる。
ふと手足に視線を移せば、そこにある手足はマミーモンの包帯まみれのそれでは無くなっていた。
両手の五指は銃口に、両脚は銃身そのものになり、頭に被られたカウボーイの帽子も含め、纏う衣装は全体的に漆黒で統一されていた。
背から伸びる細長い翼は悪魔の象徴か、少なくとも純白の竜人のナリと比べると正義の味方のそれには見えなかった。
アヴェンジキッドモン、という名前が思考に過ぎる。
名前が、その能力が、その体で出来ることが、それこそ手に取るように解る。
つまり。
それこそが、純白の竜人と同じ領域に立つプレイヤーの証。
『超越者』。
その単語が米咲の頭に浮かんだ途端だった。
戦意が瞬く間に沸き立ち、その衝動のままに米咲は――アヴェンジキッドモンは右脚の銃口を振り下ろされた左の刃の側面に向け、即座に『引き金を引いた』。
至近距離で弾丸が炸裂し、爆発が起こり、銃器と繋がっていた刃がその威力に圧される形で折れて砕ける。
ぐっ、という声が聞こえたような気がしたが、アヴェンジキッドモンはいちいち構わなかった。
爆発に圧されて間合いを離した純白の竜人へ、両手五指の銃口を向ける。
発砲、直撃。
高密度のプラズマを弾丸としたそれが、確かに純白の竜人に命中した。
ダメージを表す数字は青く、致命傷に至っていないことは明白。
だが、あれだけ猛威を振るっていた敵に攻撃が届いた、という事実はアヴェンジキッドモンが笑みを浮かべるに十分なものだった。
飛び退き、純白の竜人の銃器から繰り出される光弾の連射を掻い潜り、今度は自分の番と言わんばかりに肉薄する。
飛び蹴りの要領で左足の銃口を純白の竜人の胴部に当て、ゼロ距離で銃弾をぶっ放す。
「デストラクショントリッガー」
と、自然に呟きながら。
青い数字に紛れて赤の数字が浮かび上がる。
銃弾が防壁を抜けて、その生存力を穿ち始めた証明だった。
『ちょちょちょ、待ってくださいどうなってるんですか!? 対応不能なコマンド入力の嵐だってのにホログラムゴーストがしっかり操作に従っちゃってるんですけど!? 何でこんな風に動くのっ、これ絶対単なるバグとか裏技とかじゃない。そもそも進化の段階自体が規定外だしっ!! こんなの余所で行われてる通常の「ゴーストゲーム」の何倍もの情報処理が必要不可欠でマトモに』
「ヒカリちゃん、疑問があるならそっちで勝手に調べといて」
『単純な検索ヒット数なら十五万ほど、その中の頻出ワードを摘出すると「超越者」と「究極体」ってのが1位2位を争ってます!! よくわからないけどヤバいですよこれ!! いやまぁ近頃は得体の知れないバナー広告だの誘導狙いのあからさまなアフィリサイトとかも多いですからどれだけ信憑性があるか怪しいですけどm
「どうでもいいよ、そんな事」
五感の全てが行き届いた状態。
人間としてのそれではなく、ホログラムゴーストそのものの五感と繋がった感覚。
どういう理屈でこんな事になっているのか、と。
あるいは、疑問を覚えるのが正しい判断なのかもしれない。
だが、少なくとも今は何か不都合を覚えるような状況ではなく、むしろその不都合をぶっ潰す権利そのものを得たと言える状況なのだ。
であれば。
何に遠慮することも無い。
ドッ!! という爆音が炸裂した。
アヴェンジキッドモンが、走り出しながら自らの足元を両脚の銃でもって銃撃した衝撃の音だった。
地面が爆発し、その衝撃を追い風のようにして加速する。
勢いをつけて、純白の竜人との間合いを詰める。
相手の様子など伺わない。
こちらはもう臆病に脅えて逃げるしかないウサギではない、生死を決定する手段を得た狩人だ。
共に並び立ち、睨み合って、衝突する。
ガガガガガガガドドドドドドド!!!!! と、大音響が炸裂する。
剣撃、銃撃、爆撃、また剣撃。
成り行きを見守ることしか出来ないくるーえる――クリスペイルドラモンの視界には、具体的に『何が起きているのか』を把握することは適わない。
自分自身にも、純白の竜人からの反撃で少なくないダメージが入っている事実を知覚しながら、アヴェンジキッドモンは笑む。
自分だけが出来る、思うままに戦える、そんな――本来なら初心者が持ち得ない高揚感。
孤高とも呼べる立ち位置に、感情値が目も眩む領域へとはみ出していく。
返礼が出来る。
受けた悔しさをそのままぶつけられる。
この手でぶちのめして、吠え面をかかせられる。
「――ああ」
ぐっ、と。
自分の頭蓋から何かが引き摺り出されるような感覚。
何かが釣り上げられる。
ホログラムゴーストを操作するために用いていたデジヴァイス、それを掴んでいた感覚も既に遠い。
アヴェンジキッドモンは、米咲乾土は、この極限の戦闘において楽しさを覚えるほどの余裕さえ手に入れてしまっていた。
「駄目だよなこんなの。こんなの味わったら、知ってしまったら……さぁ……」
『…………』
サポートAIは完全に沈黙していた。
どんな言葉を出力すべきか、判断出来ずにいるようだった。
プログラム通りに言語を出力するAIに嫌悪や恐怖を抱く機能があるかは知らないが、米咲はもうそちらの方へ意識を向けていない。
純白の竜人との戦闘で思考を回す余裕が無い、というわけではないだろう。
絶対的だった存在を引き摺り下ろす、その快感。
そうあるべきと決め付けられた一つの椅子の隣に、無遠慮にもう一つの椅子を置く。
そんな権利を意識させる。
見れば、戦闘の過程で砕け散ったのか、純白の竜人の左腕からは武具が消え去っていた。
代わりに構えられるは純白の拳。
エネルギーを帯びたそれは、恐らく純白の竜人が切り札としていた攻撃手段。
まだ手札を隠していた。
隠して、一人で愉悦していた。
そんな風に思って、アヴェンジキッドモンの口はこんな言葉を紡いでいた。
「駄目だよな。そういうのは」
直後の出来事だった。
ザッッッ!! という疾風の如き介入があった。
アヴェンジキッドモンがいきなり純白の竜人の攻撃を受けたのではない、新手のホログラムゴーストが戦場に躍り出てきたのだ。
ウサギの耳のような飾りのついた兜をかぶり、分厚い獣毛のマントを風に靡かせる騎士。
そいつは現れると共に純白の竜人に肉薄し、両手に持った剣を交差させるように振り抜いていく。
純白の竜人は即座に反応すると後方へ跳躍し、斬撃を間一髪で回避する。
標的を食いそびれた獣騎士はされど焦る様子も無く、剣先を向けながら竜人に向けてこう告げた。
「選べ。最後までやるか、この場を退くか。私としてはどちらでも構わない」
「……邪魔を……」
呟きの直後、竜人の判断は迅速だった。
光輝く左の拳を地面に打ち付け、込められたエネルギーを解き放つ。
辺り一帯に眩い光が拡散し、数秒の時、景色を光が支配する。
光が収まった時、純白の竜人の姿はどこにも見えなくなっていた。
その事実に軽くため息を漏らすと、獣騎士はその視線をアヴェンジキッドモンへと向ける。
そして、告げた。
「はじめまして。そして、気をつけて」
「……何を……というか、あんたはいったい……?」
「嫌でも解る事になる。これから始まる険しい戦いの準備を、今の内に整えておくんだ」
ダンッ!! と獣騎士が大きく飛び上がる。
倒壊せずに残っていた高層ビルの模型、その上を高速で移っていく。
その直前で、アヴェンジキッドモンは獣騎士が最後に放った言葉を、頭の中で反芻していた。
「――君も、こっち側……虚数の領域に片足を踏み入れてしまったみたいだからね――」
第一話『First Riders』完
《キャラクターor舞台設定》
・主要登場人物
《米咲乾土//アヴェンジキッドモン》
よねさきけんと。26歳。アヴェンジキッドモンの【超越者】。
今作の主人公であり、【炭水化物】という名前でゲーム実況の配信者をやっている一般の男性。近頃流行しているVRゲーム【ゴーストゲーム】を、同じゲーム実況の配信者である【くるーえる】と初プレイを楽しんでいたところに【超越者】と称されるチーターが操る究極体のホログラムゴーストに襲われ、窮地を脱しようと行動した結果として究極体・アヴェンジキッドモンへと自身のホログラムゴーストを進化させ、知らず知らずにチーターと同じ【超越者】と区分されるプレイヤーになってしまう。
”思う存分やりたいことをやって生きていきたい”というありふれた欲求のままに生きており、ゲーム実況の配信者をやるようになったのもその一環。楽しくやりたいと思っていたVRゲームとそれにまつわる技術絡みの事件については不快感を覚えている。
配信者としての収入はそれなり。ゲームプレイの技術については、飲み込みが早い。
《多綱蓮//???》
たずなれん。27歳。第一話時点では【超越者】になっていない。
青に染めた短髪が特徴の【くるーえる】という名前でゲーム実況の配信者をやっている男性で、配信者としては米咲の先輩にあたる。名前の元ネタは「隙ありッ!!」という台詞と共にアホみたいな出の速さで殺しに来るどこぞの主人公の技から。お前何歳?
米咲が【ゴーストゲーム】の初プレイをするにあたっての付き添いもとい指導役――という建前でコラボ企画をするために協力してくれる事になったが、前述の出来事が原因で結果的に【超越者】と遭遇、米咲が同類に至った瞬間の目撃者ともなってしまう。
実況プレイに出す動画の中では様々なホログラムゴーストを操作してみせているが、実際のところ最も好んでいるものは”クールな雰囲気を感じさせる”人外キャラ。米咲とのプレイで進化させたクリスペイルドラモンも当然好みの範疇。
配信者としての収入はそれほど高くないが、あくまでも兼業としてきちんと仕事もしているため、生活に苦労はしていない。
ゲームプレイの技術は、高い。
《白い竜人》
正規のゲームプレイでは使えない究極体のホログラムゴースト・シリウスモンを操る【超越者】。
現実世界におけるその正体は不明だが、【ゴーストゲーム】の試合に度々介入してはプレイヤー達を駆逐し、”何か”を回収し続けている。
彼が撃破したプレイヤーには様々な【症状】が確認されているというが……?
《兎耳の獣騎士》
ホログラムゴースト・ディルビットモンを操る【超越者】。
アヴェンジキッドモンとなった米咲とシリウスモンの戦いに割って入り、シリウスモンには敵対の意思を、アヴェンジキッドモンには警告を発した謎の人物。
声色から女性のプレイヤーであるらしいと米咲は認識している。
【ゴーストゲーム】に関連する事件とその黒幕を追っているらしく、彼女が言うには白い竜人とは別に黒幕が存在しているらしいが……?
《ヒカリ》
VRゲーム【ゴーストゲーム】に搭載されているサポートAI。
プレイヤーごとにその性格設定は異なっており、米咲の場合は軽口多めの強火なキャラクターとして設定され、多綱の場合は当人曰くオドオドした気弱な性格のキャラクターとして設定されているらしい。
とある計画のために用意された【保険】の存在。
《八神ヒカリ》
VRゲームに登場しているサポートAI【ヒカリ】と物凄く似た容姿を持つ少女。
波乱のあった直後の帰り際、現実世界で米咲と多綱の二人はゴミ箱に上半身を突っ込ませた状態の彼女を目撃する。
常に眠たげな様子で、日光が苦手なのかあまり目を開けたがらない。暗い所に顔を突っ込ませがち。
ホログラムゴーストに関して妙に詳しく、謎の力によってゲームのシステムにさえ介入することが出来てしまう。
――その正体は、少女というカタチに折り畳まれた虚数領域《デジタルワールド》そのもの。存在するだけで、世界を認知するだけで現実をデジタルの法則で侵食し、やがて塗り替えてしまう世界樹の芽。世界がデジタルに近付き過ぎた結果として、望む望まぬに関わらず生まれることになってしまったモノ。
彼女を己が欲望のために”管理”しようとする”黒幕”の手より救えなかった場合、この世界は【カワラナイモノ】や【のこされるもの】のそれと同じ末路を辿ることになる。
・用語
《ブルースクリーン》
精神のデータ化などを含めた最先端の技術でもって発展した、ホログラムの飛び交う都市。
数多くの区に分けられており、米咲と多綱が通ったゲームセンターは2区。【朱雀杯】に優勝したチームが集ったカラオケボックスがあるのは7区。
《VRゲーム ゴーストゲーム》
近頃流行しているVRゲーム。
精神のデータ化によってプレイヤーの意識を架空のモンスターことホログラムゴーストに移し、操ることでもってバトルロイヤル形式の対戦を行う内容となっており、作中における【朱雀杯】をはじめとした様々な大会が開催されている。
ホログラムゴーストとは言うまでもなくデジモンの事であり、普通のプレイヤーは【完全体】までしか操ることが出来ない。
《デジヴァイス》
作中でゲームプレイにも用いられた、”腕時計をゲーム機のように平たく固めたような形の、筆箱よりも少し大きめな程度の携帯端末”。一般に流通している代物で、近年のスマートフォンにも負けず劣らずの多機能を備えており、基本的に【ゴーストゲーム】はこれを用いてプレイすることになる。
《超越者》
通常【完全体】までにしか進化させられないホログラムゴーストを、更にその上の【究極体】の領域へと至らせたプレイヤー。
一般的にはチートプレイヤーの類と認知されているが、実際のところはチートの類ではなく、元々デジヴァイスに内臓されていた機能を開放しているというのが正しい。つまるところデジヴァイスの製作者的には織り込み済みな仕様。
《虚数の領域》
この世界におけるデジタルワールドの通称。
そこには蓄積され続けた情報だけが存在し、それが【裂け目】という形でもって氾濫することは即ち、それまでの現実の崩壊を意味する。
いつもの。……というわけでも無かったが、いや終わってみればいつものか? 夏P(ナッピー)です。
チュートリアルAIのヒカリちゃんは畜生っぽいですが、1話にして黙らされてしまった。スクロールしていく中で半分ぐらいまでは、ほーう進化段階が完全体までとされている(フラグ)ってこたぁ、いずれ究極体が現れ「完全体より上の進化があったのか!?」が来るのだなと思っていたら、まさか1話の時点でそれが来るとはヤマトもビックリ。むしろ1話でチュートリアル受けたばかりなのにサクッとマミーモンまで行けている時点で凄いのではと思ってしまいました。米咲乾土でライスと乾パンだから炭水化物さんなのか!? くるーえるさんはパイルドラモン使いと前フリしつつ、推しは他にいるとの言葉もあり次にペイルドラモンで登場。さてはパピプペポ制覇する気だなというのはともかく有能そう。
オフ会やってる御三方楽しそうでいいな……と思ったら凶悪な前フリしてきてそれがその話の間に回収されてしまった。
純白の竜戦士&兎耳の獣騎士とは何だ……? アヴェンジキッドモンは名前出されたから流石にわかりますが、こちらの正体が想定できなかったのでした。
それでは今回はこの辺で感想とさせて頂きます。